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最高裁判所第三小法廷 平成6年(オ)65号 判決 1994年4月26日

上告人 甲野太郎

被上告人 甲野花子

被拘束者 甲野晴子 外1名

主文

原判決を破棄する。

本件を大阪地方裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人○○○○の上告理由について

一  原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

1  上告人(拘束者)と被上告人(請求者)とは、昭和56年12月25日に婚姻し、同人らの間には、同59年12月26日被拘束者甲野晴子が、同62年2月26日被拘束者甲野さちがそれぞれ出生した。被上告人は、昭和62年3月7日にくも膜下出血で倒れ、病院を退院後、翌63年3月中ごろ自宅に戻ったが、右疾病により身体障害者障害程度等級表上2級に相当する右上下肢不全麻ひ及び失語症の障害が残った。被上告人は、上告人が家事等について協力してくれないことに不満を持ち、次第に上告人との仲が円満を欠くようになり、平成5年3月31日、被拘束者らを連れて、○△市の両親宅(被上告人肩書地)に帰った。

ところが、上告人は、平成5年11月27日、被拘束者らが通学する小学校付近で、登校してきた同人らを車に同乗させ、○○市○○区の上告人宅(上告人肩書地)に連れて行き、以後、同人らと生活している。

2  上告人は、歯科技工士を職業とし、自宅内で仕事をすることが可能であるところ、上告人宅の近くに理髪店を営む義父と実母夫婦が居住しているが、被拘束者らの日常生活の面倒を実母にみてもらっている。被拘束者らは、上告人宅に移った後、近くの小学校に通うようになったが、普通の生活を送っている。

3  被上告人は、いずれも小学校の教諭を定年退職した両親宅に居住し、身体障害者として年金を受給しており、また、両親の援助協力を受けることが将来とも可能であるほか、付近に居住する被上告人の実弟夫婦の協力も得られる。右両親宅は、その居住空間も広く、被上告人の入院期間中に被拘束者らが引き取られていたところでもあり、同人らにとってなじみのあるところである。同人らは気管支ぜん息にかかっているが、右被上告人の両親宅に移ってからはその発作が軽減し、病状が改善された。

4  上告人、被上告人とも、被拘束者らに対する愛情に欠けるところはない。

二  原審は、右事実関係の下において、(一)被拘束者らは被上告人の両親宅に移ってから地元の小学校に通学し、教育上十分に配慮の行き届いた安定した生活を送っていたところ、上告人宅に移るとこれらがすべて失われること、(二)被拘束者らの気管支ぜん息が被上告人の両親宅への転地により改善されたが、上告人宅のある地域は、環境的には被拘束者らの気管支ぜん息を悪化させるおそれがあること、(三)被拘束者らは幼女であって母親である被上告人の監護を欠くことは適当でないことを考慮すると、被拘束者らが上告人の監護の下に置かれるよりも被上告人の監護の下に置かれる方がその幸福に適する

三  しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

夫婦の一方(請求者)が他方(拘束者)に対し、人身保護法に基づき、共同親権に服する幼児の引渡しを請求した場合において、拘束者による幼児に対する監護・拘束が権限なしにされていることが顕著である(人身保護規則4条)ということができるためには、右幼児が拘束者の監護の下に置かれるよりも、請求者の監護の下に置かれることが子の幸福に適することが明白であること、いいかえれば、拘束者が幼児を監護することが、請求者による監護に比して子の幸福に反することが明白であることを要すると解される(最高裁平成5年(オ)第609号同年10月19日第三小法廷判決・民集47巻8号5099頁)。そして、請求者であると拘束者であるとを問わず、夫婦のいずれか一方による幼児に対する監護は、親権に基づくものとして、特段の事情のない限り適法であることを考えると、右の要件を満たす場合としては、拘束者に対し、家事審判規則52条の2又は53条に基づく幼児引渡しを命ずる仮処分又は審判が出され、その親権行使が実質上制限されているのに拘束者が右仮処分等に従わない場合がこれに当たると考えられるが、更には、また、幼児にとって、請求者の監護の下では安定した生活を送ることができるのに、拘束者の監護の下においては著しくその健康が損なわれたり、満足な義務教育を受けることができないなど、拘束者の幼児に対する処遇が親権行使という観点からみてもこれを容認することができないような例外的な場合がこれに当たるというべきである。

これを本件についてみるのに、前記の事実関係によると、原判決が判示する前記二(二)の事情は、被拘束者らが上告人の下で監護されると、環境的にみてその気管支ぜん息を悪化させるおそれがあるというにとどまり、具体的にその健康が害されるというものではなく、また、その余の事情も被拘束者らの幸福にとって相対的な影響を持つものにすぎないところ、上告人、被上告人とも、被拘束者らに対する愛情に欠けるところはなく、被拘束者らは上告人の監護の下にあっても、学童として支障のない生活を送っているというのであるから、被拘束者らの上告人による監護が、被上告人によるそれに比してその幸福に反することが明白であるということはできない。結局、原審は、被拘束者らにとっては上告人の下で監護されるより被上告人の下で監護される方が幸福であることが明白であるとはしているものの、その内容は単に相対的な優劣を論定しているにとどまるのであって、その結果、原審の判断には、人身保護法2条、人身保護規則4条の解釈適用を誤った違法があり、右違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。

四  以上によれば、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れず、前記確定事実を前提とする限り、被上告人の本件請求はこれを失当とすべきところ、本件については、幼児である被拘束者らの法廷への出頭を確保する必要があり、この点をも考慮すると、前記説示するところに従い、原審において改めて審理判断させるのを相当と認め、これを原審に差し戻すこととする。

よって、人身保護規則46条、民訴法407条1項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大野正男 裁判官 園部逸夫 可部恒雄 千種秀夫 尾崎行信)

上告代理人○○○○の上告理由

原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかなる法令の違背があり、破棄されるべきである。

一、原判決は貴裁判所平成5年(オ)第609号平成5年10月19日第三小法廷判決に違背した判断を示すものであり、破棄は免れない。前記判決は「夫婦の一方(請求者)が他方(拘束者)に対し、人身保護法に基づき、共同親権に服する幼児の引渡しを請求した場合には、夫婦のいずれに監護させるのが子の幸福に適するかを主眼として子に対する拘束状態の当不当を定め、その請求の許否を決すべきである(最高裁昭和42年(オ)第1455号同43年7月4日第一小法廷判決、民集22巻7号1441頁)。そして、この場合において、拘束者による幼児に対する監護、拘束が権限なしになされていることが顕著であるということができるためには、右幼児が拘束者の監護の下に置かれるよりも、請求者に監護されることが、子の幸福に適することが明白であることを要するもの、いいかえれば、拘束者が右幼児を監護することが子の幸福に反することが明白であることを要するものというべきである。けだし、夫婦がその間の子である幼児に対して共同で親権を行使している場合には、夫婦の一方による右幼児に対する監護は、親権に基づくものとして、特段の事情がない限り、適法というべきであるから、右監護、拘束が人身保護規別第4条にいう顕著な違法性があるというためには、右監護が子の幸福に反することが明白であることを要するものといわなければならないからである。」と判示している。

二、なるほど原判決は「……母親である請求者からの監護を欠くことは適当でないことを考慮すると、被拘束者らが拘束者の監護の下に置かれるよりも、請求者に監護されることが子の幸福に適することが明白であると解すべきであり、即ち、拘束者が被拘束者らを監護することが子の幸福に反することが明白であると解すべきである」旨判示し、前記最高裁判例に添った判断をしている。しかし、本件事案のもとでは、いまだ上告人が被拘束者らを監護することが子の幸福に反することが明白であると解することは絶対にできない。この点において、原判決は前記最高裁判例の解釈、運用を誤っているといわざるをえない。

(一) 原判決は、被上告人は一人で被拘束者らを養育できないという客観的状況を全く無視している。一方、上告人には被拘束者らを養育しうる客観的状況にあることは明らかである。

(二) 原判決は「上告人が被拘束者らを監護することが子の幸福に反することが明白であると解すべきである」旨判示しているが、判決において子の幸福に反することが明白であるという具体的事実を全く指摘していない。

(三) 本件は、その審理経過から明らかなように、充分審理が尽くされないまま結審したものであり、再度審理をやりなおすべき事案である。

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